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カヨタンの生き様ブログ


by inputinput

なかなかどうして

力を抜きすぎると非常識な人間になるし
力を入れすぎると周りに引かれる人間になる

本当にイライラする
真面目すぎると言われることにも
非常識に目を瞑ることにも

本当に本当に


真面目がそんなに悪いか
人に恩着せがましいとか言うけど
じゃあ見て見ぬ振りして助けないのが正しいのかよ

礼儀を守るから、守らない人が気になる
礼儀を守らないから、守らない人にも腹が立たない

どっちがいいのか




怒らないのが正しいのか
腹を立てないで生きることが正しいのか


腹を立てないで生きるってことは、
せっかく見つけた自分を再び殺すのと同じだ

何にも動じないのが、素晴らしい生き方だと思っていた時期もあった
でもそれは感情を殺せば、誰でもできる


動じる、苦しんで悩んでもがいて笑って
泣いて、喜んで、幸せを感じて、生きる

全部コミコミで生きるということ


生きるということ、それはとっても難しい

生きるということ、それはとっても楽しい

生きるということ、それはとっても失いやすい

生きるということ、それは、愛を心から作り出すこと




楽に笑って生きるのが、正しい人間関係のあり方だと思っていた時期もあった

でも、それは、私には、できない

無理だった

心の中の悪魔の言葉がどんどん増えて、
多分何かの拍子に、出てしまう

よくないことだ


合わない人間の方が多いタイプの性格なのだと、やっと自覚できてきた

仕方がない

敵を作りやすいタイプだ
そしてそれを態度に出してしまう

なぁなぁ、グレー、一番苦手な部類

心を殺していた時には、そんなにイライラしなかったのに



自分の心を取り戻してからは、
ほんとうにほんとうにイライラする





こんなにイライラして、人をすぐ嫌いになって、人の言葉を疑ってかかって
人の心をいつも深読みして、同じくらい疑われていると思って、自分の言動も慎重にしてる

そんな自分にずっと気づかなかった

気づく暇もなかった

でも最近は、自分はほんとうに人間関係が苦手だなぁーと思うようになって
それで、悩んだりもするけど、死んだ方がいいとは思わなくなった

イライラしやすいタイプなんだなと思える
キレやすいタイプだ
そして超絶疑り深い

文章に書いてみると最悪な性格だけど、そんなに嫌いじゃなくなった




でもなんで、こんなに、人を嫌いになってしまうんだろう

いいところを見るようにしても、頭をかきむしりたくなるくらい、すぐ人を嫌いになる
のに、好いて来られると、無下にできない自分はなんなのだろう

# by inputinput | 2017-05-10 01:53

最近考えること

「べき思考」というものについて考える
「〇〇するべき!」という思考回路

当たり前に、
「母親がご飯を作る」
「母親はいつもニコニコして家族の話をきく」
そんなことを考えてるということさえ気づかないくらいに、当たり前だと思っていたこと


当たり前「べき思考」が多ければ多いほど、できなかった時に、自分を責める

もちろんそのおかげで、向上心や努力ができるのかもしれないけれど、
私は、その「べき思考」で、心が潰されて、
他人にも、「べき思考」を強要していた


自分を大切にするってことは、
一度、世間の当たり前の枠を外して、自分が一体何をやりたいのかを考えることだ

常識に囚われた中での判断は、できる中で選ぶことになるので、
それが1番やりたいことかどうかはわからない


絵では、非常識な色を使っても、誰にも迷惑をかけない
自分の感性を否定されても、別にお金を取られるわけじゃない
人格や生い立ちを否定されてるわけじゃない
常識に囚われた私の、唯一の解放場所が絵だったのかなぁなどと考える

ということは、自分の殻を飛び出して、普通の人の感覚を学んで、
普通の人のように生きられるようになったら、
もう、絵を描けなくなるのかな
絵に何かを昇華させようと思わなくなるのかな、と思っていた


そして今、思った通り、絵を描く衝動がなくなった


何もない 何もない
絵に対しての常識も非常識も、
ぶつける感情も、言葉にできないような衝動も

何もなくなった

昨日悩んだ悩みは、深夜のネットショッピングで7割方消えた
昔はストレス解消の買い物なんて、ショッピング依存になると思っていた
でも今は、なんとかなるならいいと思っている

毎日毎日、「まぁいいや」と思って生きている
いろんなこと、自分のことも、他人のことも、
環境のことも、過去のことも、未来のことも。


「まぁいいや」魔法の呪文
「まぁいいや」衝動の炎を消す呪文


苦しくて苦しくて眠れなくて、
何年経っても同じように悩んで
死にたいと24時間思っていて
だから人を傷つけてもいいと思っていた
私はかわいそうなのだから


そんな気持ちで絵を描いていた



今は自分をかわいそうとは思っていない
人を傷つけていいとも思っていない

生きるのはだいぶ楽になった
コツを掴めてきた
でも、絵を描きたいとは思わなくなった


# by inputinput | 2017-04-17 21:23 | 日記
10年前はブログをやっているのは基本オタクと呼ばれるカテゴリにいる人たちだった
友達と遊んできましたーなんて記事はあまりなかった
だいたい自分の内面と向き合った結果を書いていた
文字通り日記だった

時代は変わったけれど、結局私はついていけないままなので、
これからはなんだかんだ何年も続いたここに、日記という場を作りたいと思う


人間はいろんな人がいて、いろんな面がある
そしてそれを許しあって生きている

私は、教育上一番大事にしているのはそれで、
「人に迷惑をかけてはいけない」というより
「人に迷惑をかけてかけられて生きているのだから、人に迷惑をかけられても許せる人間になりなさい」という考えの方が生きてて楽しいと思う
10年以上前に知った言葉だけど、
当時は何を言っているのかわからなかった


人に迷惑をかけないように細心の注意を払っている人間は、
人に迷惑をかけられた時に、相手を許せなくなる

人に感謝をすることを、常に心がけている人間は、
人から感謝の言葉をもらえなかった時、相手を非常識だと思う


いつも自分を許して自分勝手に生きているように見える人間は、
割と他人の自分勝手を当然のように許す

もちろんそのボーダーラインが違うから、
一概にどれが正しいとは言えないけれど、
正しいことは良いことだ、
たとえ行き過ぎたとしても、正しさは変わらない、と思っていたけれど、
それは違うのだとやっと気づいた


正しいことは良いことだ、
でもその正しさが、誰かを、自分を、追い詰めてしまうことがある

果たして、子供のために、「正しいこと」を強要するのは、
それは、「正しい育児」なのだろうか
それを子供自身が、他人に強要した時に、
健全な人間関係を作れるのだろうか



最終的に、健全な人間関係を作ることができ、
何かあっても、それに柔軟に対応できる心を作ることが、育児の目的だと聞いた

大切なことはたくさんある、
正しいこともたくさんある、
悪いこともたくさんある、
そして道を踏み外したら、二度と元のレールに戻れないこともある、
でも、その中で、キレイな水ばかりでは心は死んでしまう


何かの扉をつける時、「アソビ」がないと不便なんだと聞いた
正常に動作するための「アソビ」もあるのだと衝撃だった


正しいだけが良いことか
悪しきことだけが罪なのか

子が生まれた時、「殺人さえしなきゃいい」なんて笑っていたけれど、
それくらいのスタンスで育児することがどれだけ大変かを今、身を以て感じている

期待し過ぎない
エゴを出し過ぎない
一人前に思い過ぎない
距離を詰め過ぎないけど、開け過ぎない

自分を投影し過ぎない

本当になかなか難しい

母も一人の人間だということを、忘れないようにする
母である役割が全てだと思い込まないようにする

どんな回り道をしても、それでも死ななきゃやり直せる、
それを知ってる私だからこそ、間違わないように、最短ルートで生きて欲しいと思っていたけれど、
今、最短ルートだと思っていた道が、
10年後にもそうだとは限らない
そんな社会になってきた

積み重ねたものがいずれ役に立つかどうかも、死ぬまでわからない
そんな時代になってきた



# by inputinput | 2017-04-17 21:05 | 日記

文章を書くということ

もともと文章を書く方が話すよりも好きで
手紙とかも大好きで、詩とかも大好きだった
でも、自己肯定感が低くなっていくにつれて、
自分で生み出した言葉たちが、どうしようもなく自分のようにクズのように感じて
書くことに意味があるのかと、書きながら考えて
馬鹿らしくなって、遠ざかっていた

それよりも、クズのような自分がマシになるようになにか知識を入れないと、と思っていた
発信するのは、えらい人で、私は受信していかないとクズのままだと思っていた

確かに自分はクズだと思う
しかし、クズな部分が多いけれどクズじゃない部分もある
そう思えたのは本当に最近

クズだから、取り繕わないといけない
クズだから、仮面を被らなければならない
クズだから、細心の注意を払って慎重にコミュニケーションを取らなければならない

ずっとそう思っていた

けれど、クズだけど、それがクセになる人もいるかもしんないじゃん
クズだけど、それを帳消しにするくらいの魅力を感じてくれる人もいるかもしんないじゃん

って思えるようになった

そしたら、あんなにトラウマだった朝の挨拶も、人の目を見て明るく言えるようになった

クズだから、おしゃれなんかして、好印象求めるのは間違いだと思っていた

でも、クズだから、オシャレしないとダメだよね、中身クズだし、みたいに開き直れるようになった
見た目ダサくてキモくてクズとか、やばいよね、って思えるようになった





なにがなんだか。





まぁ、クズですよ。
でもしゃーない、クズ生産家庭で生まれ育ったのだから
ゴミとしてゴミと生きる
でも、綺麗なゴミになったら、
リサイクルで、生まれ変われるかな

ゴミの子はもしかしたら、新しい資源エネルギーになれたりしないかな


そんな風に、自分の生まれた環境を冷静に分析できるようになった


人間として生まれて
人間としての尊厳を剥奪されて
それでも人間として生きて
もし、その尊厳を取り戻し、そこから愛を生み出せたなら、
それは、とても、すごいこと
それは、とても、報われること

# by inputinput | 2017-03-21 15:24 | 日記

久しぶりすぎるけども

実に7年ぶりの更新
四捨五入して10年。すごっ
ブログを新しく始めようと思うような若さも無くなりました
自分をおばちゃんということにまだ抵抗のあるこの頃

日記としてペンで書くのはめんどくさい

キーボードで打つと、暗い話も小説のようにサラッとまとまる不思議

しかし現代のキーボードはこんなに薄いのね
昭和生まれの私にはいちいちカタカタ音のする厚みのあるキーボードがやりやすい
エンター押しても、ターンッて言わないのね

独り言をネットにアップ
何も考えずにやっていたことだけど、日記よりもしっかりと読み返せる
自分の人生の軌跡を見ることができる
それは時代の恩恵だと思う


時代、現代、やたらでてくるのは歳をとったせいなのか

手を抜く、ということを頭の中だけじゃなく、心の底まで理解した最近
なんとなく生きるということを普通の人たちは当たり前にやっている現実
思っているほど、人は他人のことを気にしてないということ
それはすなわち、人に冷たくも暖かくもないということ

そんな中で個性を尊重しながら生きている

個性を尊重されずに人との距離を学べずに育ち、その弊害も全て自分の責任だと思って生きてきた私は、
本当に驚くことばかりだった

ゲームのソフトで例えると、みんながバイオハザードをやってると思ってたら、実際はみんな牧場物語をやってたみたいな
バイオ毎日やって、殺して殺されてクラクラで。なぜみんなこんなに余裕あるんだろうと思っていた
蓋を開けてみたら、みんな牧場物語。
そりゃ余裕あるわ。楽しいわ。だって今、楽しいもん

バイオの基準で生きてた頃は
いつでも戦闘態勢だった
いつでも撃たれる心の準備をしていた
そして、いつでも撃つ準備をしていた
みんな、ゾンビに見えた





今は、楽しい。
落ち着いて、作物を育てている
リアルで、家庭菜園がやりたくて、野菜の苗のカタログを眺めている
明日、何をしよう、次の休みはどこに行こう
今度は旅行に行きたいな、どこに行こうかな

全ての人がゾンビに見えていた時代は考えられなかったことを、毎日考えている

おかしな人しか撃ってこない
そしておかしな人から逃げればいい
よくみてゾンビと人間を、自分で判別すればいい

生きていくということは
撃たれないように撃つ事ではなくて
いかに笑って生きられるかいかに楽しみを見出すか
そんな牧場物語のようなものなのだと、人生3分の1過ぎてやっとわかった

とりあえずゾンビ撃つスキルは置いといて
生きることを楽しむスキルをみがくのだ










# by inputinput | 2017-03-21 15:00 | 日記